美人鱼——安徒生的回忆~

读者: 2564    发布时间: 2008

原文: 人魚姫 アンデルセンの思い

アンデルセンの思い



先日「崖の上のポニョ」を見た。

まだDVDも発売されていないので、

ネタをばらさないように、感想だけ書きます。

まず1時間41分という上映時間の長さ・・。

およそ人間の集中力は40分前後である。

休憩もなしに100分も見るのは辛い。

いわゆる寝るための映画?かと思った。

ストーリーコンテンツは既成の物語である。

アンデルセン童話の短編集が好きな僕には

いささか物足りない気がした。

そんな映画だった。

アンデルセン童話の中で、読んでいて

一番泣いたのは「人魚姫」である。

先の映画は、まさにオマージュのような作品と思えた。

ただし映画はハッピーエンドである。

アンデルセンの「人魚姫」は、全く救いのない話である。

一応、ストーリーの大まかな流れを紹介すると以下のような話である。



一人の人魚が、遭難した船から一人の王子を助ける。

人魚は、その王子が好きになり、人間になりたいと願う。

人魚は魔女に頼んで、その声と交換に人間にしてもらう。

だが、人間になったはいいものの、

その人魚の特徴であり、最大の魅力である声を失った彼女は

王子に気付かれる事もなければ、踏み出せない状態にあった。

王子は、あろう事か、隣国の姫を、恩人だと思い、

結婚してしまう。

人魚に残されたチャンスはひとつ。

それは夜明けまでに王子を殺す事。

もし夜明けになれば、人魚は泡と消える。

人魚は、何度も王子を殺そうと自分を叱咤するが、

愛する人を殺す事など出来ないと

ついに夜明けを迎えて泡と消える。

だが、神は彼女のけなげさ、心の清らかさを評価し、

彼女の命は天使達と一緒に空へと飛び立ってゆく。



ポニョを見た人がこの物語を知っていたら、

誰がどう考えても、このアンデルセンの作品のオマージュであると分かる。

しかし別にオマージュであっても問題はない。

大事なのは、それが良い作品であるかどうかである。

だが「崖の上のポニョ」では、アンデルセンを絶対に越えられない。

少なくとも自分はそう思う。

アンデルセンが、この「人魚姫」を書いた経緯が泣ける。

アンデルセンは、幼少より、ある家に世話になっていた。

やがて成長するとともに、その家の娘を愛するようになった。

だが結婚は許されず、アンデルセンは自殺さえも思い立った。

その時、アンデルセンの友人に励まされ、傷心を癒すため旅行に出る。

やがて国内に帰ってきたアンデルセンは、その苦しみを

この「人魚姫」に昇華させたのである。

アンデルセン童話は、グリム童話と違い、深い愛情と温情に満ちた作品が多い。

「マッチ売りの少女」では、報われない貧困生活を贈る少女が、

それでも生きようとしてゆく悲痛な姿の中にも、希望があるのだと語ってくれる。

これらは、救いようのない話にもかかわらず、「無償の愛」という人間美を

見事に描ききっており、未だに世界中を感動させてくれている。

あるラジオ番組で、自分の家族を紹介する企画があった。

その時、夫が子供に読ませる人魚姫やマッチ売りの少女などを

読むたびに泣き出してしまい、絵本を聞いていた子が

「お父さんが泣いてて可哀想」と母に言ったそうだ。

母親にはこっけいな話に思えたらしく、ラジオでそれを紹介した。

DJが応じて笑った。

しかしその笑いの中には、父親であり夫である彼の愛情への笑い、

嘲笑ではない人間の温かさがもたらす笑いであった。

アンデルセンは、生涯、孤独と戦い、後世の少年少女らの為に、

自らの心の傷を、むしろ情熱という武器に変えて物語を書いた。

これが作家魂だと思う。

自己顕示欲や金銭の為に書かれた本は朽ち果てる。

勝他の念が強い人間の本は、読めば怒りに変わる。

自己蔑視が強い人間の本は、不快感しか与えてくれない。

アンデルセンは、大失恋によって「人間の温かさ」を知り、

そして帰ってくるなり、電光石火で作品を書き続けた。

それこそが作家魂であると思う。

ラジオで紹介されていた父に対する笑い。

あの温かいみんなの笑い声が、胸にしみた。

译文: 美人鱼——安徒生的回忆~

安徒生的回忆


最近,我看了《悬崖上的金鱼公主》。
因为还没有卖DVD版的,
所以,为了不被炒作,我只写些自己的感想。
首先是它的上映时间长达1小时41分。。。
人类集中注意力的能力大概也只有40分钟左右吧。
100分钟连续不断的看确实累人。
于是我想,也就是说这或许是一部专门催眠的电影。
而且,故事情节是现成的。
对于喜欢安徒生童话短篇集的我来说,
这部电影有点欠佳。
这是我对这部电影的大致看法。
读安徒生的童话,
最催人泪下的应该是《海的女儿》。
而我感觉到我看的却是一部名副其实的赞颂之作。
而且结局是皆大欢喜。
安徒生的《海的女儿》完全是一段无法挽回的悲情故事。
以下,我大致粗略的介绍一下安徒生版《海的女儿》的故事流程。



有一条美人鱼从遭遇海难的船上救下了一个王子。
美人鱼爱上了那个王子,于是盼望自己能变成人形。
美人鱼恳求女巫,并答应拿甜美的歌喉与之交换。
变成人 的确是一件好事,
但是,失去了作为美人鱼的特征,最大魅力的歌喉的她,
如果连王子的注意都得不到,那她将一无所获。
可天意弄人,王子因为某事为了报恩,
最终和邻国的公主结了婚。
那么,留给美人鱼的只有一次机会。
那就是在黎明到来之前杀了王子。
因为黎明到来之际,美人鱼会化做泡沫消失。
美人鱼好几次强迫自己去杀了王子。
可面对所爱之人她终究无法下手。
最终迎来了黎明化为了泡影。
但是,神赞美她的勇敢和心灵的纯洁。
最后,她的灵魂和天使一起飞上了天空。



看完了《悬崖上的金鱼公主》的人如果知道这个故事的话,
不管是谁,不管怎么想都会认为它是对安徒生作品的赞美。
但是,即便是赞美也还是没有问题的。
重要的是这是不是一部好作品。
然而,《悬崖上的金鱼公主》绝对无法超越安徒生的《海的女儿》。
至少我是这样认为的。
安徒生所写的这个《海的女儿》的故事是能人流泪的。
安徒生年幼时曾寄宿在别人家中。
随着年龄的增长,安徒生渐渐喜欢上了这家的姑娘。
但是他们的婚姻不被允许,安徒生连自杀的念头都有了。
这时,安徒生受到友人的安慰和鼓励,为了治愈心灵的创伤,他踏上了旅途。
最终,回国的安徒生,
将这种痛苦在《海的女儿》这部作品中得到升华。
安徒生的童话与那些冷酷,残忍的恐怖故事不同,多为充满深情爱意和温情的作品。
在《卖火柴的小女孩》中,叙述了那个过着没有回报的穷苦生活的少女,
在困境中求生存的悲壮生命中仍旧不缺乏希望的感人故事。
虽然这是一个无法挽回的悲剧,
然而他出色描绘了被誉为“无偿的爱”的人类之美,他感动了整个世界。
在某一电台节目中,有一档介绍自己家庭的栏目。
有位为人母的女性说道:“每当那个时候丈夫给孩子们讲《海的女儿》和《卖火柴的小女孩》,这些安徒生童话时,
总会哭出来。听着的孩子,
就会对我说:“爸爸哭得好伤心啊。”
好象这位母亲认为这是一个笑话,因而通过电台介绍给了大家。
DJ也相应一笑。
但是在这种笑里,有对这个为人夫为人父的男人的爱而笑,
那是一种非嘲笑的人间温暖所带来的笑声。
安徒生认为,与其与自己的一生,孤独做斗争,到不如为了后世的俊男少女,
将自己心灵的创伤化作炙热的笔杆写下那传世之作。
我认为这才是作家的灵魂。
为了自己的表现欲和金钱而写的书是腐朽之作。
读战胜他人的念头强烈的人所写的书,只会让人变得愤怒。
自卑心强的人所写得书,只会给人带来不快之感。
安徒生通过自己爱情的破灭理解了“人间的温情”,
回国之后,马上就写下了作品。
我认为这才是作家之魂。
电台里大家对那个父亲的笑,
大家那个充满温暖的笑声填满了我的心房。